敢て後れたるに非ず、馬進まざるなり
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子曰、孟之反不伐、奔而殿、将入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也、
子の曰わく、
孟之反(もうしはん)、伐(ほこ)らず。
奔(はし)って殿(でん)たり。将(まさ)に門に入らんとす。
其の馬に策(むちう)って曰わく、敢(あえ)て後れたるに非ず、馬進まざるなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。
「孟之反はけして功を誇ることが無かった。
ある時、負け戦の殿(しんがり。軍の最後尾)を務めたことがある。
いよいよ自国の城門に入ろうという時、
彼は言った。
『別に殿を務めようとしたわけではない。
ただ馬が進まなかっただけだ』
語句
■孟之反 魯の大夫。名は側。紀元前484年、魯と斉の戦があった。斉は魯を破って、魯は敗走した。その時孟之反はみずから最後尾に位置してしんがりをつとめた。負け戦でしんがりをつとめるのは最も困難なことなのに、孟之反は誇らなかったという話。 ■殿 しんがり。軍隊の最後尾にいて敵の追撃を防ぐ。負け戦の時はもっとも困難な役。
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現代語訳・朗読:左大臣光永