斉人、女楽を帰る
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齊人歸女樂、季桓子受之、三日不朝、孔子行、
斉人、女楽(じょがく)を帰(おく)る。季桓子(きかんし)これを受く。三日朝せず。孔子行(さ)る。
現代語訳
魯の定公の十四年、孔子が魯の宰相となり魯の国政はさかんになった。隣国の斉はこのままでは魯がますます盛んになり、斉が併呑されてしまうと恐れて、魯公を堕落させるために美女の楽団を送った。この時魯の国政は季桓子が取り仕切っていたが、季桓子は魯公に美女をすすめ、自分も女色にふけり、三日の間君臣共に朝廷に出てこなかった。それで孔子は共に道をめざすことはできないと判断して、ついに魯を去ったのである。
語句
■女楽(じょがく) 美女ばかりから成る楽団。
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現代語訳・朗読:左大臣光永