殷に三仁あり
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微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死、孔子曰、殷有三仁焉、
微子はこれを去り、箕子(きし)はこれが奴(ど)と為(な)り、比干(ひかん)は諌めて死す。孔子の曰わく、殷に三仁あり。
現代語訳
殷の紂王が暴虐なふるまいをした時、腹違いの兄である微子は諌めたが聞き入れられなかったので紂王のもとを去り、叔父の箕子(きし)は奴隷となり、叔父の比干は殺された。孔子がおっしゃった。「殷王朝にはこのように三人の仁のある者がいたのだ」
語句
■微子 殷の紂王の腹違いの兄。名は啓。微は領地の名。紂王の暴虐をいさめたが聞かれなかったので去り、先祖の祭を絶やさないようにした。 ■箕子 紂王の叔父。名は胥餘(しょよ)。箕は領地の名。紂王を諌めて怒りを買い奴隷とされたが、狂人の真似をして辱めを耐えた。 ■比干 紂王の叔父。紂王を諌めて怒りを買う。紂王は「聖人の胸には七つの傷があるというが本当か」と言って比干を殺した後、心臓をえぐりだした。
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現代語訳・朗読:左大臣光永