公山不擾、費を以て畔く

公山不擾、以費畔、召、子欲往、子路不説曰、末之也已、何必公山氏之之也、子曰、夫召我者、而豈徒哉、如有用我者、吾其爲東周乎、

公山不擾(こうざんふじょう)、費(ひ)を以て畔(そむ)く。召く。子往かんと欲す。子路説(よろこ)ばずして曰わく、之(ゆ)くこと未(な)きのみ。何ぞ必らずしも公山氏にこれ之かん。子の曰わく、夫(そ)れ我れを召く者にして、豈に徒(ただ)ならんや。如し我れを用うる者あらば、吾れは東周を為さんか。

現代語訳

公山不擾が費の町で主家に叛いた。公山不擾は孔子を招いた。孔子は行こうとされた。子路はこれを喜ばず言った。「行くことは無いでしょう。どうして公山子などの所に行かれるのです」

先生がおっしゃった。「いったい私を招くということは、どうして形だけことであろうか。必ず、私を用いるつもりなのだ。もし私を用いる者があれば、私はかつて西方の周で行われていた徳の高い理想の政治を、東の、ここ魯の国で復活させよう」

語句

■公山不擾 季士の家臣の公山氏。陽虎の乱についで季子に叛いた。 ■費 町の名前。 ■東周 (西方の)周でかつて行われた徳の高い理想の政治を、東の魯で復活させようの意。

前の章「子、武城に之きて弦歌の声を聞く」|次の章「子張、仁を孔子に問う

現代語訳・朗読:左大臣光永