誠に富を以てせず、亦た祇に異を以てす

〔誠不以富、亦祇以異、〕 齊景公有馬千駟、死之日、民無徳而称焉、伯夷叔齊、餓于首陽之下、民到于今称之、其斯之謂與、

〔誠に富を以てせず、亦た祇(ただ)に異(い)を以てす。〕斉の景公、馬千駟あり。死するの日、民徳として称すること無し。伯夷・淑斉、首陽の下(もと)に飢う。民今に到るまでこれを称す。其れ斯れをこれ謂うか。

現代語訳

『詩経』の詩の文句に、「人の評価はまったくもって富ではなく、ただ富とは別のものによるのだ」とある。

斉の景公は馬を四千頭持っていたが、死んだ日に民はその徳をほめることは無かった。伯夷・淑斉は周の食を食らうことを潔しとせず、首陽山のふもとで飢え死んだが、民は今に到るまでこの二人をほめている。『詩経』の詩の文句は、こういうことを言っているのだろう。

語句

■誠に富を以てせず、亦た祇(ただ)に異(い)を以てす 『詩経』(小雅・我行其野篇) ■馬千駟 一駟は四頭立ての戦車一台分。だから馬千駟は馬四千頭。

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現代語訳・朗読:左大臣光永