鳳鳥至らず、河、図を出ださず

子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫、

子の曰わく、鳳鳥至らず、河(か)、図(と)を出(い)ださず。吾れ已んぬるかな。

現代語訳

先生がおっしゃった。古代の王・舜の時は鳳凰が舞ったし、周の文王の時は都のそばの岐山では鳳凰が鳴いた。古代の王・伏羲の時は、黄河から竜馬があらわれ、その背中に八卦図を描いた木版図を背負っていたという。しかし今や鳳凰は飛んでこないし、黄河から木版図を背負った竜馬は出てこない。徳の高い君主があらわれる時はそういう瑞兆があるものだが、今やそんな瑞兆はまったくないので、徳の高い君主は、あらわれないということだ。ならば私が用いられることも無い。私はおしまいだ。

語句

■鳳鳥 鳳凰。古代の王・舜の時には鳳凰が舞い、周の文王の時は都のそばの岐山で鳴いた。 ■河図 古代の王・伏羲の時、黄河から竜馬があらわれ、その背中に木版図を背負っていた。そこには易の八卦図が描かれていたという。理想的な君主があらわれた、しるし。

前の章「我れ其の両端を叩いて竭くす」|次の章「子、斉衰の者と冕衣裳の者と瞽者とを見れば

現代語訳・朗読:左大臣光永